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【二〇三〇年】第5部 日本はありますか(2)
2030年のわが国の姿を映し出すかのような“町”がある。トヨタ自動車のおひざ元、愛知県豊田市の保見(ほみ)団地。住民8421人のうち外国人が4041人と48%を占める。そのほとんどは日系ブラジル人だ。外国人が増えると地域はどうなるのか。団地の20年史は苦難に満ちていた。 愛知万博の会場跡に近い丘陵地帯。67棟3千戸の大型団地に足を踏み入れるとポルトガル語の世界が広がっていた。ショッピングモールはブラジルの食材店や飲食店、DVD店が並び、彫りの深い顔立ちの男女が談笑する。空き地では日系の子供たちがサッカーボールを追いかけていた。 団地に27年暮らす豊田市議、松井正衛(せいえ)さん(63)は「多文化共生のモデルケースとも呼ばれる団地だが、外国人が集住しすぎてしまった。お互いに歩み寄る姿勢をなくしてしまった」。 保見団地は昭和50(1975)年の入居開始。平成2(1990)年に日系人の単純労働を認める改正入管難民法が施行されると、トヨタ関連の工場で働く日系ブラジル人が急増した。日系人とは、かつて北米や南米へ移民した日本人の子孫のことである。 団地はやがて、ごみ出しルール違反や違法駐車、深夜の騒音などをめぐる摩擦が深刻になった。11年には一部のブラジル人と右翼関係者のトラブルで大型街宣車が放火され、両者がにらみ合う中で機動隊が出動する騒ぎとなった。松井さんは「右翼と暴走族が連日『外国人は出ていけ』と叫んでいた。ごみ団地と呼ばれ、最悪の時期だった」。 現在、表面上は穏やかな郊外団地の風景が広がるが、日系3世の松田プリシラさん(31)はこう話す。 「団地のブラジル人は日本人から悪いイメージで見られていて、親しくなれない。残念なことですが」 ◆中途半端な教育 同じ血が流れる日本人の子孫とさえ、われわれはよき隣人になれないのか。 プリシラさんの祖父母は三重県出身。戦前にブラジルへ移民し帽子工場を営んだ。プリシラさんの父親(54)は工場を手伝ったが、1980年代のブラジルは経済混乱に見舞われ、一家は90(平成2)年、出稼ぎのため来日した。 12歳だったプリシラさんは大阪府八尾市の小中学校へ通い、日本語も上達した。シャープの下請け工場で洗濯機の組み立てラインにつき、夜間高校へ4年間通った。日系2世の男性(29)と結ばれ2女に恵まれた。保見団地へ来たのは2年前。父と夫はトヨタ関連の工場で働いている。 「大阪では学校や仕事先で日本人の友達もできた。ここはブラジル人ばかりで、日本語を話さなくても生活できてしまう。日本に来た以上、日本の習慣に合わせるべきと思うのに、『ワタシ日本人じゃない』『ずっと住むわけじゃない』。結局、ブラジル人はブラジル人、日本人は日本人で暮らしている」 プリシラさんの小学3年の長女(9)が通う市立西保見小は、児童184人のうち外国籍が103人と56%に及ぶ。日本語を教える専門教員5人と通訳5人が特別に配置されているが、松井さんは「外国人との共生がうまくいくのは経験上、日本人と外国人の比率が7対3まで」と言う。 「先生方は本当によくやっているが、結局は日本人児童の教育もブラジル人児童の教育も中途半端になっている。両方の子供たちが不幸な状況に置かれている」 子供を西保見小へ通わせたくないため転居していく日本人家庭もあるという。 ◆日本人の覚悟は 保見団地が現在の姿となったきっかけに携わった人物がいる。法務省入国管理局のキャリア官僚だった坂中英徳さん(64)。バブル期の人手不足を補うため日系人の単純労働を認めた平成2年の改正入管難民法の骨子作りを主導した。 20年後、31万人まで増えた日系ブラジル人の現状に「日本人はもっと温かく受け入れると思っていた。長い目で見てほしいが、まだ共生できてはいない」。 坂中さんは反省も込め、単純労働の外国人労働者ではなく、永住する移民の受け入れを提言している。特定の国に偏って受け入れず、日本語教育を徹底するなど受け入れ態勢を整える。自民党の議員連盟による「移民1千万人構想」の素案も坂中さんによるものだった。 一方、外国人労働者問題に詳しい埼玉大学の小野五郎名誉教授(67)は「移民を受け入れた欧州諸国は、本音では失敗だったと後悔している。良好といわれたオランダでさえ揺らいできた」とし、こう話す。 「スウェーデンが成功例といわれるのは強権的に押さえつけているからだし、スイスは市民による密告が盛んだ。移民を受け入れる社会的コストを日本人は担えるのか。日本人はそこまで覚悟ができるのか」 一昨年秋のリーマン・ショックに続く「トヨタショック」を受け、豊田市全体で千人の日系ブラジル人が帰国したが、保見団地からは100人ほどだった。滞日10年以上の人が6割を占め、定住化が進んでいる。 プリシラさんは昨秋から、父親が結成した日系ブラジル人住民団体の一員として団地内で情報紙の発行を手伝っている。 「20年後、団地がどうなるかは分からないけれど、ブラジル人と日本人、どちらも相手の文化に興味を持ってもらいたい。互いにもっと知り合ってほしい」 情報紙はポルトガル語と日本語で書かれていた。 【関連記事】 ・ 進むボーダーレス化 その瞳は、国境を超えて ・ 監視カメラで囲まれた「ゲーテッドコミュニティー」 ・ 帰郷という生き方 誰が「ムラ」を守るのか ・ 外国人参政権 付与の法的根拠が崩れた ・ 娘たちに起きた惨劇 ・ 黒船か? 電子書籍の衝撃 揺れる出版界 ・ 1人区勝利に自信=小沢民主幹事長(時事通信) ・ 少年グループの抗争で23歳男ら逮捕 互いに報復繰り返す(産経新聞) ・ 「大型連休分散」11年にスタート? 渋滞緩和で「もっと旅行して!」(J-CASTニュース) ・ 補償交渉、10年で終了=5人死亡、64人重軽傷−日比谷線脱線事故(時事通信) ・ <中央環境審>小委 石綿肺も救済法対象とする答申案を了承(毎日新聞)
by l8fwckipw8
| 2010-03-09 00:54
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